なぜ今「肉詰め」か



「肉詰製作所」
2002.8.11 駆動系の同人誌「IDEE」内の漫画として発行







鉛筆であれば漫画が描けるということを認識する作品になった。人間の肉を缶詰に詰められるという特に珍しくもない話であるが、身体に装置をつけられて徐々に缶詰に詰められていくというアイデアはゆっくり削られ溶かされる感じがしてよいと思う。(魚のようなものは「ギョ」の影響)

その一年後、tutoaという後輩がこの世界観を元にアニメーションを卒制で発表すると意気込むも、狂気が足りずタイポをみてはグラフィするという中途半端さに肉を削られる


tutoa氏の肉詰められなかったアニメーション(2004~2005)

そして肉詰めから10年後・・・
きっかけはsoriという黒い触手のようなものを全身に宿した男が以下の動画を流しはじめ、部屋を狂気で満たしたことから始まった。



クトゥルフ神話、ラブクラフト・・・いずれも10年前にその単語を聞くきっかけはあったものの、物の関連性に気づかなかったことで我々はその影響を免れていたのだ。

そうこうしている内にsoriは二つ目の動画を流し始めた。


気づけばtutoaが何かに急かされるようにしてスケッチをはじめていた。わたしはその事象はいつもの彼が描く、他愛のない一時的な箸置きのようなものだとおもって眺めていた。しかし、このスケッチによってtutoaは5年、私にとっては10年の時を経て何かが動き出そうとしていた。クトゥルフそしてダニッチの怪は我々に動かずに動くアニメーションを作る一筋の光明を与えたのだ。

「とにかく今日中に撮りましょう。どんなものでもいいから試作品を作るんです。」
山奥の町工場の明かりも途絶えて霊山が空よりも濃密な黒く恐ろしい影に変わった頃、生活感のない虚ろな部屋の中でtutoaはそう言った。


私はダンボールを切り取り、手を縫いつけることで繰り返し使える俳優を作成しようとした。


tutoaは人形劇の要領で切り取った厚紙のキャラに割り箸をつけることを考えていた。


soriは紙の軽さを利用して地上から解き放とうとした。

これらの試作品を通して、2日間の山篭りでなるべく今そこにあるものを使って1話の動画を作るというペースが自然に出来上がったのである。少なくともtutoaの第1~3話と私の第1~3話まではほぼそれを守っている。以下に「肉詰め」の世界観を共有している続き物の動画をあげようと思う。tutoaは「肉詰工場」、わたしは「がぶ飲み肉詰め」というタイトルでそれぞれが連作になっている。






・・・以上がtutoaの「肉詰工場」








以上が私の「がぶ飲み肉詰め」

我々にはまだまだ悪臭がたりない。


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