メモ「たぶんカリフォルニアの登山家そしてグリズリーハンター、アダムス」


The adventures of James Capen Adams, mountaineer and grizzly bear hunter of California (1911)


Author: Hittell, Theodore Henry, 1830-1917
Subject: Adams, James Capen, b. 1807Adams, John, 1812-1860
Publisher: New York : Scribner
Year: 1911
Possible copyright status: NOT_IN_COPYRIGHT


1800年代アメリカに生きたアダムス(James Capen Adams)
自然体験話を著者のHittellが書き記した本


アダムス(James Capen Adams)の肖像画
その風貌からアイヌ人と共通するものを感じる

サムソン(1500ポンド)
ベン・フランクリン
レディ・ワシントン(1000ポンド)

というのはこの動物園にいる三匹の熊の名前だ

この奇妙な動物園の中心にいる経営者はアダムスという男。
中背よりやや高く、筋肉質で筋張っている。
彼は見た感じ50歳ぐらいだが、髪の毛は灰色でひげは真っ白だった。
パンタロンでモカシンを履いていた。

アダムスはベン・フランクリンレディ・ワシントンたちを完璧にコントロールしていた。
熊の歯をみるために顎に手をあて、口の中にまで手をいれていた。
アダムスは後ろ足で直立して歩くようにしつけ、命じたときに唸り声をあげるように、
そして様々な芸を仕込んだ。

一人でもしくはコンビでボクシングやレスリングをさせ、
熊たちは素晴らしい自然とスポーツをする楽しとともに芸を体得した。

ここからはアダムスの若かりし頃の体験。
素行不良のベンガル虎を再教育しようとして何度も入ったことのある
飼育小屋に入ったところ床に打ち付けられ身体を噛まれたり引っ掻かれた。
小屋から出たときには意識がなく、完治するまで長い時間がかかるほどの
重傷を負った。この事故を境に、用心しない気質を完全にやめた。

カリフォルニアのグリズリーは時々、2000ポンド = 907.18474 キログラム
ぐらいあるものがいる。灰色の毛が混じった茶色をしている。
ご存知のように世の中の動物にとって最もおそろしいことは
興奮時のグリズリーに偶然出くわしてしまうことである。
しかし特殊な状況を除いて、通常は人を襲うことはない。
この動物の最も驚くべき力技が記録されている。
成体の馬やバッファローを運ぶことができ、突撃してくる雄牛を前足の一撃で
止めてしまう、というのは嘘ではないと言うのだ。
興奮しているとき、特に手負いの状態ではグリズリーの胆力は
尽きることがない。何も恐れず命が尽きるまで戦い、後ろを振り返らない。
グリズリーの学名はursus feroxとursus horribilisが当てはまる。

ワシントンとオレゴンのグリズリーはカリフォルニアの熊に似ていて、
まれにとても大きくなる例外があり、茶色い毛皮をまとう。
極寒の気象が影響して毛はさらに巻き毛で厚くなる傾向がある。
そんなに獰猛ではなく、カリフォルニアやロッキー山脈の熊よりも
安全に狩ることができる。ニューメキシコにおいて、グリズリーは
その強さと力を失い、一般的には全体として臆病で気迫のない動物
であるとされた。

レディ・ワシントン
子熊を二頭引き連れた老いた雌のグリズリーとの戦闘。
アダムスは二丁のライフルを用意した。
胸に一発撃ち、すぐさま突進してきたグリズリーに対して二丁目のライフルを
使って開いた口内から脳めがけて二発目を撃った。
グリズリーが頭や心臓を撃ちぬかれても数時間にわたり生きのび
強靭さの驚異を発揮するというのはよくあることだが、今回は
幸運なことにおよそ数分間で息絶えた。



その後子熊たちを確保しようと追いかけると
ものすごい反撃にあったので登れそうな木に登って安全を確保した。
子熊たちは年に似合わず恐るべき歯と爪をあわせもっていた。

アダムスが木にくっついているのは滑稽な状態だったし、
恐ろしい熊を狩った男がこんな小さな熊たちにかこまれてるのは
どういうことなんだろうと思うと笑いがこみあげた。

しかしアダムスのいるところには誰も助けがこない。
子熊たちはアダムスに続いて木に登ろうとしてしこたま前足を叩きつけ、
アダムスは、手の届きそうな範囲になると確信した子熊たちが顎をカチカチさせ
邪悪な感じがしたことを決して忘れないだろう。
30分もしたら子熊たちは死んだ母親のところへ去っていった。
アダムスはもっといい方法で子熊を捕らえようとその場を去った。

その方法とは馬を使って投げ縄で捕らえるのだ。
インディアンのケナスケットが運転する。
しかし失敗して子熊は姿を消した。

次は泉だ。泉はあらゆる動物が平等にやってくるチャンスがある。

今にも確実に泉にやってくであろうグリズリーの子たち、
次の日夕方にアダムスは武器をすべて運び出し、
ある場所に隠して信号を送るまでは絶対に動かないようにした。
私たちは日も暮れた深夜に行動を開始した。
まもなく羊の一団、一組の鹿、狼の群れ、がやってきたが、
動物たちは平静に行ったり来たりしていた。夕方の薔薇のような星が
わたしたちの頭上を通り越し西へ落ちていき、一筋の光が
東の地平線から見える、たった一回きり、山から聞こえる甲高い鳴き声、
巣の方向から、子熊たちの到着したことを示す。
私たちはそのときすべての物陰を立って確認し、すべての物音に
耳をすませた。やがて小さな子熊たちが駆け抜けていき、
泉に鼻先を突っ込みだした、そうして数分間してから水から出て、
草原で転がったり取っ組み合いを始めた。この時、アダムスは
口笛を吹いて、馬に股がり拍車をかけて、頭のまわりでなげ縄を
回しながら前方へ突進した。子熊たちは突然の襲撃にぎょっとして
それぞれ違う方向へ走りだした。片方をアダムスが追い、もう片方を
仲間が追った。

アダムスが追う熊は雌で、草原を駆けはね、長い追跡になった。
十分に近づいて縄が彼女の頭の上につくやいなや打ち返しての繰り返しで
ほぼ1マイルは走った。数マイル追跡し、何度も何度も縄を投げかけて
7回目ぐらいにようやく縄がかかった。その状態を維持してようやく
捕まえることができた。すぐにアダムスは馬から飛び降り、
口輪と縄をポケットから取り出しすぐに頭と足を縛り付けた。
彼女(熊)はとても美しいので、仲間に合流する前に
アダムスは何度も立ち止まりじっくり眺めざるをえなかった。

仲間は捕獲に成功していた。彼らは自分たちが年老いたハンターよりも
優秀であるということに本当に喜んでいたが、それはアダムスが気ままに
遊ばせていたという幻想であった。
子熊が別れたとき(別々の方向へ逃げたとき)、仲間は雄だとおもわれる
ほうを深く折り重なった藪にはいって、完全に藪にもつれてしまうまで
長い間追跡した。それから仲間は子熊を藪からはずしこんなふうに
手で捕まえた、けれどひっかかれたりかみつかれたりして、
縛り付けることに成功した。そして子熊はいままでに見たことがないくらい
完璧にがんじがらめに縛られていた。それから仲間は長い柱に子熊を吊るし
肩にかついで泉までやってきた。征服した、アダムスに勝ったという
彼らの歓喜だ。アダムスはどこで子熊を捕らえたのか見せてくれといい、
仲間が場所を指したとき、アダムスは自分よりも簡単に熊を捕まえる場所
だということに気づいた。けれどアダムスと違って彼らは噛み付かれたり
引っ掻かれたりしたのだ。次のように言うと彼らは困惑した。

「自分の手を見なさい」
「わたしはそんな風にひっかかれていない、血がついていない。」

アダムスは自分のやり方について話した。

「それから」
「彼女(子熊)は世界中で一番かわいい動物だ。」

Sykesey(仲間)とTuolumne(仲間)はアダムスがジョークを言ってるんだと
思い、証明を求めた。しかしアダムスが彼らの目を真っ直ぐ見て
この老いた狩人が嘘をついたことがあるかと尋ねた。
「いいや。」と仲間は返事をした。彼らはアダムスが嘘を言ったことを
聞いたことがなかった。

これがアダムスの熊、レディ・ワシントンとのいきさつだった。
アダムスはこれからの狩人生における仲間の一人を獲得したのだ。

それからというもの、レディ・ワシントンはいつも私と一緒にいて
危険や困難を共有するようになった。荷物を運んだり食事を共にした。
グリズリーの相棒・友達と聞いて読者は驚くだろう。
しかしそれは双方にとってであり、一方的なものではなかったんだ。
(28)

アダムスの次の冒険は、彼の経験の中でも最も幸運なことに
ベン・フランクリンを捕まえたことだ。彼は熊の花形で、アダムスの親友、
その後の人生の愉快な仲間!
(190)


ベン・フランクリン

このことについて話すことはアダムスにとってとてもうれしいことであり
喜んで生きた言葉を使って強調する。
(199)



アダムス(人)とベン・フランクリン(熊)

毛むくじゃらのベン・フランクリンの毛皮をなでると
マリポーサ渓谷での孤独な時間を思い出した、怪物のグリズリーとの戦いで
アダムスはグリズリーの巣に入った。そこで彼女の子供を捕らえたのだ。
すべてのことが昨日おこったみたいに印象に残っている。

グリズリーの母親を倒してすぐにアダムスは巣に踏み入った。
その入口につくと巣をのぞきこんだが暗くて静かで不気味だった。
どんな危険が怪しい暗がりの中に潜んでいるだろうか、
言葉では表現できない雰囲気。その深淵を調査する準備をしながら恐怖を感じずにはいられなかった。
アダムスはもう一匹の熊が巣の中にいるかもしれない
と思うとぞくぞくした。しかしすぐに馬鹿なアイデアをおもいついた。
こういった想像はすべて今までの経験からくるものである。
しかしこのような状況において人は多くの予測をして、後で笑い事になるような
心配をするものだ。だから予測することは本当に簡単なんだ。
アダムスはライフルとピストルに弾を込め、次の瞬間に備えて武器を運んだ。
自分との戦いであった。ポケットからパインの木くずでできた小さい松明にあかりをつけ
ライフルを巣の入り口に置き、左手に松明を持ち右手にピストルを構え
膝をつきよつんばいになった。

入り口は粗雑な穴だった、広さは3フィート(0.9144 メートル)深さは4フィート以上か。
穴の中心にむかって水平に広がりがあった。直径6フィート(1.8288 メートル)~8フィート
の広さの寝室があって、立てはしないがかがむ程度の高さがある、全体の床を木の葉や枝
が埋め尽くしていた。最初に見たときは何もいないようにみえ、期待はずれかと消沈した。
(200)しかしまわりをよく見回すとかすかに葉がこすれる音が聞こえ、
松明を下の方にかざしてみると二匹の美しい子熊を発見した。
生後8~10日で目を開けるので、閉じているところをみると
生まれて一週間もたっていないだろう。
アダムスは大の字に手を伸ばす小さな子らを
一匹、また一匹と首根っこを持って明かりの元へ運んだ。
子熊たちはとてもかわいらしかった。両方とも男の子だ、
この巣の状況、寝床が3つあることから推測して子熊は三つ子
のはずである。慎重にあたりをみまわすが、もう一匹はみあたらなかった。
母親が食べてしまったのかもしれない。雌の熊にはしばしば起こることだ。
もしも子熊が死んだり、奇形であっても必ず食べてしまう。
他に子熊がいないことをしっかり確認して、二匹を懐の鹿皮と羊毛シャツの間にいれて
外の陽の光の元へもう一度出てきた。
ほうびを手に入れたことで、アダムスはほとんど踊りながら茂みやでこぼこの斜面を
待たせていたラバがいる場所めがけてかけおりていった。
しかし着いたときにはラバはどこかへいってしまっていてアダムスはめちゃくちゃ
心配になった。最初にラバは何者かによって盗まれたのだと思ったけれど、
バッグのなかの鹿の干し肉は木にかかったまま乱れた形跡はなかった。
ましてやヒョウの群れは周囲にいたし、アダムスはラバが昨夜何かに襲われて
逃げ出したのだと確信した。なんというさらなる試練だ。
(201)

アダムスは藪を通り抜けていく
ラバの群れを見つけ、丘をこえてつぎの渓谷までついていき、ついにラバの牧草地、
青々と草木の茂る谷をみつけたのだ。最初にラバが私に気づいたときにはひどくぎょっとしたが
「ベッツ」
と呼ぶとラバは静まって、ふりかえりこっちへやってきて、あきらかにアダムスにあえて
うれしそうだった。ラバの臀部はいくつかの深く新しいひっかき傷でえぐられていて
ヒョウに飛びかかられたより確かな証拠だと思った、ラバはそこから逃げ延びたのだ。

ラバに乗って死んだ熊のところへもどって、解体した肉をパック詰めにする。
その残りは巣穴の入り口においてきた。 峡谷から方向転換して
懐に子熊がいるという認識が非常に良い心持ちにさせた。
ソロンをみつけたので、一匹をプレゼントすることにした。
ソロンは大変感謝して、どうやって捕まえたのかを聞きたがった。
夜遅く焚き火が消えそうになるまでアダムスたちは話し込んだ。
寝る前に、ソロンは熊をジェネラル・ジャクソンと命名した。
アダムスはジェネラル・ジャクソンという名前は一癖あるすごいやつだと認めたが
自分の子熊はもっと素晴らしい名前であるベン・フランクリンとよぶことにした。
(202)

このような経緯で、捕まえたのと全く同日に私の偉大なベンと命名したのだ。翌日ソロンは熊の巣穴を見たがったので、巣穴の方角で狩りをした。
前日にアダムスが巣穴の入り口に残した熊肉がある巣穴に到着した。
熊肉はほとんど食い散らかされていた。我々は何が起こったか知る由もないが
ハゲタカの仕業と推測した。しかし肉の蓄えは十分したので、残りの肉の損失は
大したことではなかった。いくつか松明をもって、巣穴を調査するなら明かりをもっていく
ようにソロンに言った。しかしソロンはおじけづいているようだったので、
結局アダムスが松明を持って先導する準備をした。入っていくと巣穴の葉っぱが
がさがさなった。小部屋に近づいたとき飛ぶ音と唸り声が聞こえた。
一瞬びっくりしたが、手にピストルをもって地にふんばりながら、たいまつをかざしたままで
熱心にあたりを見渡した。すぐに狼の形だとわかった、臀部をあげたまま伏せていて
ものすごい顔をしてこっちをにらんでいる。
狼は臆病な気質にも関わらず、狭い空間ではやっかいで扱いにくく
多くの男はこの状況では狼を放っておこうとするだろう。
しかしアダムスは戦う意志を表し、ソロンに立って構えるように合図した。
それから松明を地面に刺し、左手にナイフを持ちリボルバーを右手で構えた。
アダムスはうなっている獣に対して発砲した、すぐに二発目を打とうとするが
そんな時間をあたえてくれず、獣は跳びこえて逃げようとした。
跳躍したときアダムスは尾をとっつかまえてナイフで斬りかかった。
しかしうまくいかずに獣は逃げられそうだった、しかし幸運なことに
獣が現れたときにソロンがよく準備していて冷静に打撃をくらわした。



こうして二回目の巣穴掃除をして
ソロンに松明を手渡すと彼はしゃがみはじめた。
ソロンはよつんばいになって数歩進んでから、いたずら心ができて
アダムスはもう一匹の狼に気をつけろと叫んだ。
突然かれはひきかえしてきて恐ろしくぎょっとしていた。
ソロンはいたずらに怒っていたが、アダムスはユーモアがわからない男だと
笑った。しばらくしてからソロンは小部屋にはいった。アダムスもそれに続いて
完全に満足するまで見回してからキャンプへ戻った。
(204)

3~4日間狩りを続けて、何度かさらに山羊を狩る機会に恵まれた。
用心深い山羊はロッキー山脈のとんでもない高さの場所に住んでいた。
どこもかしこもでこぼこで不揃いな地面、あちこちに小さな茂みがあるだけ、
茂みの一群とわずかに束になった草、山羊を探すなら崖の隅か地面の窪みだ。
そこならハンターが山羊に近づくのに良い場所である。
彼は見つからないように隠れ、鋭敏な嗅覚で近くにいることを気づかれないように
呼吸を止め、狙撃兵にならないといけなかった。狙い通り撃つ間もなく
瞬時の警戒心によってもじゃもじゃの群れは、羽を生やしたかのように崖をかけあがった。
ついていけるのは鷹ぐらいだった。

マースド川にある本部にもどるためキャンプで休む、かたわらには
干し肉と皮がつまった大量の包と旅程で捕まえた、二匹の子熊、二匹の狼の子
五匹のヒョウの子と二匹の子鹿で構成された幼い動物の家族があった。
幼い子たちは箱や籠にいれて荷物の一番上に積んで馬やラバに運ばせた。
レディワシントンも旅の帰路にレディ・ワシントンはずっと同じ体勢でいないと
いけなかったが彼女とヒョウたちまでもが常順だった。彼女にとって厄介だったのは
ヒョウたちが鳴き始めたことで、アダムスはヒョウたちが静かになるまで彼女を
なだめてやらないといけなかった。

アダムス一行はつくまでに山のゆっくりと楽な場所を超えて懐かしいキャンプ地へ
戻ってきた。留守の間、その強靭な腕っ節でここを守っていた忠僕である
スタニスラウスが迎えてくれた。アダムスはスタニスラウスにツオルンネにしたのと
同じようにプレゼントをした。新しいボーイナイフ、新しい服、新しい毛布。
ソロンには鉱山への旅の際に私の判断で買い与えた。

どちらの若者もプレゼントを受け取るときに、わたしに忠義と意欲を繰り返し感じさせ、
次の目的はロッキー山脈だというと、彼らは私の導きに従うと答えてくれた。
(213)

CHAPTER XⅢ サムソン

ついにアダムスの話はサムソンを捕まえる話になった。
これまでのグリズリーの中でも最も大きい種。
アダムスはサムソンの大きな痕跡を渓谷岩、木、茂み全てから発見した。
ストックトンからアダムスの山のキャンプ地にもどってきた数日後のことだ。
この巨大な動物の痕跡を見るやいなや、危険を犯してでも彼を捕まえると
決心した。次の日の朝アダムスは熊の巣周辺を偵察しにいった。
罠をしかけるのによさそうな場所をきめた。



かつてないほどでかいグリズリー、サムソン。
その重さは1500ポンド = 680.388555 キログラムを超える
(現在と昔ではポンドについて1千万分の1の誤差があるらしい、ほとんどかわらないだろう)


岩のそばで一時間半ほど横になっていると、
たまたま痕跡を発見した。
獣が頭を持ち上げあたりの匂いを嗅ぎながら進むのを見たのだ。
そんなに大きな熊をアダムスはみたことがなかった。
まるで山のようだ。熊を発見した恐ろしさでドキドキした。
しかし熊は峡谷のほうへあがっていって茂みの中に消えてしまった。
アダムスはよく観察しながら熊が去ってから、あたりがしんと静まり返るまで警戒していた。
それから起き上がり、夜間に徘徊する熊が通るであろう場所を選んだ。
そしてそこは荷馬車が通れるような良い道だった。次の日、アダムスは仲間と雄牛
の力を借りて伐木と丸太を牽引してきた。一週間でできたものはこれまでに作ったものの中で
最大で最強で最も優れた罠になった。

時は11月の中旬、雨季もしくは雪のシーズンとよんだほうがいいだろうか。
戦いは(The game)シエラ山脈の下の方に移動していた。
アダムスたちは様々な熊、鹿、その他の動物を狩った。
しかし一週間ほどの間、あの巨大な熊をみかけることはなかった。
サムソンはこの地帯から去ったのではないかという懸念があった。
しかしある朝、全く罠のところにいった形跡がないことがはっきりとして、
再び出会うことをほとんど諦めかけた。
サムソンの痕跡ははっきりとあるのに、何か他に理由があるのか、罠が発動しなかったのだ。
サムソンの存在の事実は私の消失した希望を蘇らせた。
すぐに罠を最改良した。さらに明日の夜は経過をさぐりにいくことにした。
これで何かヒントをつかんだ場合、捕まえられることを確信し、
同時に痕跡を荒らさないよう慎重になることが必要だった。
荒らされた場所を熊は離れることがよくあるからだ。

アダムスは峡谷から半マイル(804.67200 メートル)離れたところに小さなテントを建てた。
罠からは500フィート(152.4 メートル)下方にある。ツオルンネとアダムスはそこで食料や火使わずに2日間寝泊まりした。
想像していたよりもわびしい期間だった。そして、こちらへやってくるであろうお客様の到着に
耳をすませていた。

三日目の夜だったが、アダムスはものすごいうなりごえで目を覚ました。
夏のフンボルト山のぞっとするような嵐の雷音を除けばこれまでに聞いたことのないような
山に響き渡るくらいの大きなうなりごえだ。アダムスはテントの外に飛んでいって
この騒音は何が起こっているのかを聞き分けることにした。すぐに罠にかかった熊の声
以外ないという結論になった。その日は大地に小雪が降る寒い夜だったが、
アダムスはツオルンネを呼んだ。一斉に松明に火をつけ罠のほうへ進んだ。
二人が近づくと、熊は猛烈な突進をしてきた、アダムスは次の瞬間には熊が罠から
開放されてしまうとおもったが非常に頑丈に作っておいたので熊の攻勢に耐えられたのだ。
二人は興奮さめやらぬまま、素材を追加して罠を強固にした。
隙間から覗きみて、すぐにこの島でもっとも最高のほうびを獲得したことに
満足した。

POSTSCRIPT
サンフランシスコでアダムスの動物たちの博覧会を数年間したのち
冒頭で述べたようにロンドンへ移動した。
アダムスは動物たちを連れてゴールデンフリース号で水路を渡ったのは
1860年1月7日のことだ。船の旅は三ヶ月半かかった。
ニューヨークにつくとピネハス・T・バーナムと契約を結び、
それ以来バーナムショウとコラボった博覧会をした。

1855年の春、シエラネバダ山脈の古いキャンプ地でのグリズリーとの甚だしい遭遇
をしたアダムスのことをバーナムショウのリダーは覚えているだろう。
アダムスはその時獣に殴り倒され、頭と首に深刻な傷を受けながらなんとか反撃して殺したのだ。
同時にベン・フランクもアダムスの戦いのサポートをしていたが傷を負った。
ベンはいつも戦いのたびに顔に傷を負っていた。その傷が彼を醜く見せるということはなかった。
アダムスの頭の傷が治ったとき、頭頂部に銀コイン大のくぼみが残った。
それはあたかも下の頭蓋骨が切除されたようだった。

アダムスがニューヨークに行ったときベン・フランクリンは一緒にいなかった。
ベンという高貴な仲間は太平洋博物館の目玉で来訪者に大人気だった。
ベンは1858年1月17日に原因がわからないまま亡くなった。
その出来事はアダムスに深い影響を与えただけではなく、
サンフランシスコ市民の嘆きにもなった。
1858年1月19日の夕刊には『名高いカリフォルニアのネイティブの死』
という相当長い記事が記された。
(372)

バーナムとアダムスはアレンジを加えたあとに
六週間ニューヨークで博覧会をした。
しかし、博覧会が終わる前にアダムスは重度の病人になっていた。
ケープホーンを折り返しているうちに、船上である動物とはげしく争って
アダムスの頭の傷が再び開いてしまったのだ。しかしこれが原因かは定かではないが
明確なのはニューヨークについたあとで傷がひどい炎症を起こしだしたのだ。
熱を出しアダムスの容態は危険になった。医師に相談すると
アダムスはもう長くはなく絶対安静をすすめられた。
だがアダムスは仕事を続け,1860年の夏の間に
マサチューセッツ州とコネチカット州を通して博覧会をする新たな契約を
バーナムと結んだ。本当に意志の力で困難な契約をやりとげたのだ。

契約が完了するとアダムスは親戚のいるボストンの近くの小さな町のネポンセットに隠居した。
着いてから病人のアダムスはベッドに入った、そして二度と起き上がらなかった。
博覧会の興奮の輪から覚めてアダムスの気力はなくなったのだ。
5日目に医師はアダムスに朝までもたないと告げた。アダムスはそんなことには
無関心だった。しかしアダムスの親族が牧師に看取ってほしいといった。

バーナムの話に従いアダムスの最後のいきさつを伝える義務がある。
アダムスは牧師に博覧会で彼の熊についていくつかとても大きな話をした。
「彼はいつも人に対してまっすぐであるよう努力していた。」
自身の信仰への答えに対してアダムスは
「私は毎日お説教をしていた、日曜はずっと、この六年の間。時々年老いたグリズリーが
鮭を運んでくれた。ときどきヒョウが運んできてくれた。ロッキー山脈やシエラネバダの
山頂じゃ雷光や暴風雨やハリケーンがよくきた。でもわたしに説教をするものが何であれ
神の威厳をいつも教わったし、天国の優しい父の不変不滅の愛を示してくれた。
わたしは野卑な奴だが、心は明るいところにあり、ようやくこの地球では楽しむことの
できなかった休息が訪れるんだ。」
アダムスは牧師の優しさに感謝して手をあわせたあとに、祈ってほしいと願い、
別れを告げた。一時間のうちにアダムスの魂はとんでいった。
息を引き取った。最後に明るい笑顔を残して。

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アダムスの冒険をかいつまんで
辞典を片手にhttp://ejje.weblio.jp
適当翻訳していたら止まらなくなってしまった。

アダムスは捕まえて育てた子熊-レディ・ワシントンとベン・フランクリンを溺愛し
特にアダムスとベンの間にはものすごい信頼関係が生まれていると思うが
どちらもアダムスに親を殺されているんだよな・・・?
避けられない戦いの後に親を殺すしかなく、残った子供たちを引き取ったというのなら
わかるが、最初から子熊が欲しかったというのがアダムスの狙いだったように思える。
かいつまんで読んだものだから、ひょっとしたら事情をまちがって読み取ってるのかも
しれないが。

そしてグリズリー最大級のサムソン・・・
どんな死闘が繰り広げられるのかと思ったが
戦いといえば罠をしかけて待つアダムスたち自身の寒さとひもじさとの戦いのみで
戦わずして罠にかかったという。

全編を読んでいないので掴めてない部分はあると思うが
アダムスが熊と戦う話は、物語というオブラートに包まれたようなまとまりのある感じで
緊張感はたしかにあるのだが、マシラさんが熊と戦ったときのようなリアルな
ダメージの描写や絶望感のドキュメンタリー部分が不足している気がした。

しかし、熊の心臓のあたりをライフルで貫通させてもしばらく生きている
という事実を何例か見れたのは、熊とのバトルにおいて非常に有用な情報だと思う。





関連記事

メモ「たぶんグリズリーの生態」



The biography of a grizzly (1900)


Author: Seton, Ernest Thompson, 1860-1946
Subject: Grizzly bear -- Legends and stories
Publisher: New York Century Co
Possible copyright status: NOT_IN_COPYRIGHT
Language: English

子熊が親と離れ成長して、立派なグリズリーになりそして・・・
物語仕立てになってる。


扉絵的なもの、期待


少し成長した子熊に対する野生のオオヤマネコの威嚇


木版画のようなモノトーンがたまらない



一枚イラストもいいが、レイアウトされた白黒のカットのセンスが好き


メモ「たぶん動物王国」

Grand illustrated encyclopedia of animated nature : embracing a full description of the different races of men, and of the characteristic habits and modes of life of the various beasts, birds, fishes, insects, reptiles, and microscopic animalcula of the globe ; being a complete history of the animal kingdom (1856)
Author: Frost, John, 1800-1859
Subject: Animal behaviorZoology -- Popular works
Publisher: New York : Miller, Orton & Mulligan
Possible copyright status: NOT_IN_COPYRIGHT
Language: English
Call number: ALM-2311
Digitizing sponsor: MSN
Book contributor: Gerstein - University of Toronto
Collection: gersteintoronto



動物は総数は少ないけれど哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、軟体動物を網羅
イラストは上手い


初っ端からたくましいライオンの肢体を書いていて期待感もてる






なんでネイティブ描かせると胴体が壁画調になるの


安定した四足獣のお手並




右上のグリズリー(ハイイログマ)は動画や写真でみたものとくらべて
コブが目立たないし、丸太みたいなスケール感をかんじない。


この上の絵の右端はグリズリーの恐ろしさがうまくでてる絵だとおもう。
山林からくる何か感がよくでてる。
この後、グリズリーはリロードできたハンターに仕留められてしまう。


ピレネー山脈での熊狩り
上の絵は取っ組み合いになって最終的に崖から熊を突き落として助かったらしい。

単独のハンターの場合、一発で心臓か脳をぶち抜かないと殺れない。
心臓は厚い毛皮と強靭な筋肉に包まれ、おまけに頭蓋骨は堅固で
ライフルの弾を骨に対して垂直の角度で撃ちこまないと、どんな距離でも貫通しない。
グリズリーの歯の構造としては、他の島にいる最も温厚な熊よりも肉食性が低いのでは?

グリズリーってものすごく肉食で怖いというイメージしかなかった。

グリズリー対ネコ科猛獣のBBSのログが面白かった。
こういう議論も覗くぶんにはいい.。
文献のソースを探してきて自分の論が正しいんだってことを証明するよりも、
どこからか掘り出してきた資料を見て一人でいろいろ妄想してるほうが
自分にはあってるけど。

取り組み


音を疑う


メモ「~動物死体を文化のために蘇らせる~遠藤秀紀教授の動画」

過去に私が見に行った『命の認識』展
総指揮・監督:遠藤秀紀
監督助手:藤原慎一、小薮大輔、森健人

その展示での総監督だった遠藤秀紀教授の講座の動画が
公開されてたので何個か貼っておく
各動画の時間が短いのと全編公開されてないのは章分けとPVを兼ねてるんだと思う


浜夏樹獣医師・動物の遺体がもったいない



遠藤秀紀・遺体科学について


CTスキャン後CGにしてパンダの指がどう動くか


日本と比べアメリカは動物標本を収蔵できる設備が大きい


骨館かっこいい


命の認識
解剖は興味のある人だけできるように選択制にすればいいのにと思う。
また、解剖してホルマリン漬けにするのではなく、
トリコの流儀を取り入れ、食べるために解体(解剖)しながら
部位を見ていくという理科と家庭科を合体したような
授業はできないだろうか?


必要な設備のシュミレーション

仮面とかない


メモ「たぶんプリニウスの博物誌」陸海のキメラや怪獣・怪魚

今回の本は二種類。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥスという古代ローマの博物学者が関わってる








神・貴族・戦士が化物討伐する、よくある
どや画像



左側の画像は右側の1658年にまとめられたトプセルの『四足獣の歴史』の絵に
似たディフォルメ感がある。年代的に考えてトプセルの本が参考にしてる部分がありそうだ。


陸上系キメラ・怪獣

戦闘能力の高そうなものほど後においた


バシリスクか


カトブレパス


グリフォン・・・いや頭部は攻撃力低そう




ドラゴンでいいのかな?威厳はないが気味が悪い


半獣半人



歴史的にも有名な狼に育てられた子供たちではないだろうか


おなじみのマンティコア、識者(老人)と獣の組み合わせ
四足獣の歴史』のマンティコアとダークビーストマンティコア

よく見ると耳や目の位置が変わったつき方になっているし
手がお腹のあたりからも生えている
人魚系ではめずらしいのでは?




ドキドキ学園アタック7の匂いがぷんぷんする


怪魚・怪獣





『カルタ・マリナ』の溺れる牛の全体図か?


『カルタ・マリナ』のトドアザラシ?
よくみると頭から尾にかけて背骨のようなものが見える
これは角であり、こいつは一角鯨なのではないか?
これはノルウェーのセイウチにそっくりだ!

こっちは『北方民族文化誌』のノルウェーのセイウチ
メモ「たぶん北方民族文化誌」 海の怪物




足が増えたことで脚力が増し、尾びれで水中をさらに早く動けそうなワニ


Delphinてまさかイルカ・・・



玄武に近いということを考えて戦闘力高めで配置した


『カルタ・マリナ』の怪獣か


『北方民族文化誌』第6章


『カルタ・マリナ』の怪魚


『北方民族文化誌』の鯨は潮を吹いているが入り組んだ鱗は描かれていない。
鯨というよりは巨大な鯉のような怪魚だ。
尾の長さやスケール感で最強認定してみた。
『北方民族文化誌』では船を沈めたりシャチに攻撃する技として
潮砲が書かれているので潮を出せるやつは強いという見方だ

最後に、潮を吹いている怪魚はなぜ白目を剥きぎみになるのか
これも興味深い。


プリニウス(Gaius Plinius Secundus)が77年に博物誌を記して
Johann Heydenが編集・追記などして1565年に出版したのがこの本という流れはわかる。
カルタ・マリナに描かれていた怪魚・怪獣の類とほぼ同じようなイラストがあったのは
オラウス・マグヌス(Olaus Magnus)が1539年に数枚刷った海図を元にしたか、
北方民族文化誌を参考にしたのだろう。

プリニウスの77年に作られた原本はGoogle Bookで探してもでてこなかった。



以下はおまけのようなもの








かっこよくて不気味でいい感じのイラストがあったので抜粋。
この本にはヨーロッパ風の騎士・貴族の様子と
アラビアンな雰囲気の人たちの様子、動物が数種描かれていた。
イラスト自体の数は少なく、528ページのうちめぼしいものはこれだけ。

参考資料:
Topsell's The History of Four-footed Beasts and Serpents
引用元"Courtesy of Special Collections, University of Houston Libraries."
著者:Edward Topsell


*カルタ・マリナの画像引用について
日付 1539年
原典 http://www.npm.ac.uk/rsdas/projects/carta_marina/ "Carta Marina satellite images"
著者 Olaus Magnus







メモ「たぶん四足動物類の歴史」




前回に続きウリッセ・アルドロヴァンディの
四足動物を描いた本を見ていく

その中でも現在では奇形と呼ばれるであろう
動物の形がかっこよかったので抜粋した
実際に存在したのか、どこまでが創作なのかは
よくわからない



首の多いものといえばがいた






これは凄く気に入っている
動きが想像できるのもいい

これはさすがに作り物くさい
胴体に目玉がついているというと白澤を連想させる



腰に手を当ててる感じがいい
足の数が多い者はその全てを制御できていたのかが気になる


シンメトリーに近く、変な神々しさがある


翼ではなくその場所に手が生えてくるというのは想像力を刺激される


これだけ足や首の数は多くないが
エロいシルエットをしていたので貼った

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