ただ壁にとがった風の文字を描いてみたい風潮というものが
大気圏までぶっ飛ばされる感覚


今日は絵は載せない。

たしかずっと前にatuさんに教えてもらった記憶のある
新宿ダンボール絵画について
http://cardboard-house-painting.jp/mt/

文と絵が
まるで小説の『Dブリッジテープ』の主人公の台詞のように
Atari Teenage Riot - Revolution Action の
システムオペレーションをぶち壊すムービーのように
自分に突き刺さって飲み込まれそうになるから注意したほうがいい
何かを成し遂げようとしながら、しかし気持ちが弱い人は見ないほうがいい
そのほうが安全に楽しく気持ちよく生きていけるかもしれない
ぼくは見て、久しぶりに股間から内臓から胃から足元から
細胞がざわついていくことを抑えることができなかった

目の前でツバをはきかけられたり、道具を盗まれたり、さげずまれるような眼で
見られたり、常に背後から襲い掛かられるかもしれない恐怖を抱いたりしながら
絵を描いたことなんて恐らく、一度もない。ぼくが映像だと言ったように
ストリートで人にかかわることはない。ぼくが見たストリートの絵というものは
美術館で企画展と称されたものだったり、安全な檻のなかで 人々がCOOLだと
感じるようなものばかりだ。

アートマネージメントの本や
ぼくの海外へ向かう思想や
展示の人に見せるということを意識してということや
ぼくのオペレーションや
すべての 
すべてに ものすごい大きな炎があてられて
向こう側からすべてを見透かされているような
そんな気分だ

活字の装備も
先人のアドバイスも
誰かの評価も
全部ぶっとんだ

ただ 横に置いてあった おれの黒い絵だけが
おれがここに留まることを許していた
おれは東京の都市にはファンタジックな森林も
心休まる渓流も野生の動物の声も遠く、そんな
中で一体なにが生まれるんだ?と最近おもっていた
東京には面白い文化があるから、その風にあてられて
何か作ってるんだとしたら おれの芯はただ他人任せで
何一つ土台になるものがないじゃないかとおもった

だがこの負の土台で
彼らは世界を作り出した
ひさしぶりに体をえぐられた気分だ

ただ、人には人のやり方がある
おれという信号のわたり方さえ他人を利用する
ふわついた存在の多くは吹き飛ばされたが、
しかしおれの築いた表現はその業火の元でも
しっかりと立っていた 不思議だ、芯なんて
ないはずなのに  

最後にもう一度言う、私はこれを読むことを勧めない
君たちは安全に生きていてほしいからだ

新宿ダンボール絵画
http://cardboard-house-painting.jp/mt/

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また、新宿区ダンボール絵画研究会の記事紹介にあった
ホームレス文化ブログ
このまえ読んだ「進化するアートマネージメント」 の中にもでてきた
”パブリックアート”って言葉が使われてたのでちょっと気になった。
このブログを読んだあとで、http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/04topics/h18/20070314.htm
を見るとなるほど うまいイメージコントロールだとも思える。
このブログでも、「進化するアートマネージメント」の中でも”想像力”という
言葉がキーワードになっている。

ぼくはここで言われている”想像力”を具体的な例をもって
自分で体験することができた
だから なんとなく理解できる

ここでいう”想像力”とは ぼくの思っていた、この街を破壊して作り変えてやりたいという
造形的なビジョンとは違う。

つまり、このまえ書いた電車の中での1分ぐらいの間で思ったこと
あれも、実は”想像力”のうちの1つだったんだ。
 

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